個人の働き方の自由が増す時代をどう生きるか?
ずっと頭の中でぐるぐる考えている。働き方改革はだれにとっての、何の問題なの?もやもや。
国にとっては、生産労働人口の減少に際しての労働力の確保だろうし、企業にとっては優秀な人材確保のための手段なのだろう。
私にとっては、個人の自己効力感を高めるため強みを何に活かすか問題か(暫定)。生産性高めて早く帰れて時間が余るが、みんな何に使ってるの?家族??友達??趣味??みんな趣味増えてるの?笑
わたしは断然、仕事と趣味の間のような、心から共感できることへ能力を活かすということをやりたいわけですが。コソコソしなくていい時代がきて、嬉しいのです。兼業なんて歓迎されなかったので、隠れてコソコソ非公式バンザイでしたので。
そもそも会社は人生を保障はないし、幸せだと思える仕事のフィールドを提供してくれるわけではないから、ぶっちゃけ外で仕事したらいいじゃん。「その時代きた!やったー!(°▽°)」的なやつ。その分、スキルは求められる訳ですが。。
そんな中、兼業している人は会社で決めた年間の総労働時間内におさめよという御達しが来た。さらに、組織長は自組織のメンバーが兼業している場合、総労働時間の枠の中で働けているのか、管理しないまでも指導が必要と。。会社さま、正直、それは無理なのでは!!!私生活まで管理せよというのか。うちの会社は本当に人に優しい会社なので、多様性を追求するために色々な制度や仕組みは充実しているのですが。多様な働き方を認めるが故にそこまで管理するとなると、大変だぞよ。責任範囲が広くないか。大企業の宿命か。おお、そうなると、また兼業ではなく、ボランティアやプロボノ活動はどうだろう?それは何として扱うの??個人の定義の違い?オロオロ。
ということで、会社はつらいですね。笑。
また、組織長はつらいなあ。と。笑。
会社は人をかこえなくなり、従業員は自由だし、それなのに守るべきルールも増える。
個人はどんどん自由になっていく。
企業に勤める人も、実力と人脈があれば、どんどん稼げるし、面白い仕事ができる。
いろんな考え方の人がいるだろうし、正解はないけれど。個人の交渉力が強い以上、その人、個人の強みや思いをいかに活かせるかが大事。
会社経営をしたい人は、経営を極めればいいし。そうでない個人は、組織長にならなくてもいい。(以前、組織長になることが会社の出世という感じでもある)。いちプレイヤーとして働きながら、兼業して働く。プレイヤーでいるのが最強に楽しい時代が来るのだろうなあ。私はファシリテーターとプロジェクトマネジメントのスキルを活かして、好きな人たちと好きな地域のことを、コツコツ、ちいさく、ちゃんと進めていきたい。
参考記事)
優秀な人ほど、稼げる時代。サラリーマンでありながら青天井。
http://blog.tinect.jp/?p=45147
じぶんを見失いそうになる。ゲシュタルト崩壊!
判断者として声をかけられることが多い。
状況を聞いて何を優先すればいいか整理し判断をしてみる。
ルールと照らし合わせて、
正しい答えがあることもあるけれど、
だいたい答えはない。
まあようするに、判断をそこらじゅうで求められるので、自分が誰かわからなくなり、価値観やらをどこかに置き忘れてある感じで疲れます。笑。
ぶっちゃけ、「どうしたらいいの?」と問い返したいけど、問いを立てて返しを待つ余裕がない。(これよくないね)
情報にあふれていて自分の時間を持たない、
自分の外の現象にばかり脳みそをとられ、
耳を塞ごうとしても判断を求められて、自分見失いそうになる。そんな感じ?
こんな時間を過ごすために仕事をしているのか?いや、違うはずだよなあ。
あまり気がすすまない、嫌なことをし続けて生きるしかないのか?なるべく好きなことをして、暮らす方法ってないのかな。
そんなモードでした。
まずは、問いを立てることから頑張ります。涙。
家ごはんと食後のコーヒー体験。
セブンプレミアムが最近のお気に入り。
理由は大きく3つ。手軽で美味しい。罪悪感が薄い。一番重要なのは、お皿に盛って食卓に並べる食べる体験ができること。
こどもの頃は外食が特別に贅沢なもの。
お誕生日や夏休みの最後の日に行っていた記憶がある。その日は、家族でご飯を食べながら写真を撮ったりした。大きな鉄板の上で、もんじゃ焼きとか、当時家で食べないものを食べた。だから、今でも、もんじゃ焼きが大好き!
社会人になってからは、どうだろう。
ほぼ毎日が外食なので、もう外食にうんざりしてしまった。コンビニは飽きてしまってグッと来ないし、そのほかのご飯も選ぶのに迷ってしまう。結局アイスコーヒーとゆでたまごで無理やり満たすことが多い。
いまの私にとっては、手料理こそが最高の贅沢だと思える。幸せだなあと感じる瞬間。
味が美味しいのが重要なのではなく、時間が愛おしい。大切な人もいたら、なお嬉しい。その日の出来事を話したり、味の感想を言い合ったり。プライベートな空間で会話をしながら食べるという体験の価値が高いのだと思う。
結局、頻度が少ない方を人は非日常だと思い。そのことを贅沢に感じて、幸せだと思うのか。モノには満たされているから、コトを求めるとはこのこと。愛とか思いとか。そういうコト。
ちなみに。
外食の帰宅後には、母が淹れてくれたコーヒーを飲んで、父はすぐにソファでうたた寝をしていた。なんだか幸せな記憶だなあと思う。
食後のコーヒーはずっと変わらない愛おしい体験なんだ。この時間は大切にしていこう。
企画屋なのに企画がつくれない。
致命的な悩みです。
なんてったって、企画職なのだから。。
よく言われるのは「その企画、直球だね」。例えば「いま行きたい!尾瀬の女子旅♪ポイント3点を探る」「温泉ランキング」とか、足で稼いで、読み手に新たな発見のある具体的な事実を盛り込んだ記事風の広告はまあ普通に作れる。一方、一言インパクトの高いコピーとビジュアルが目をひくアド部門という広告が全然つくれないのです。メタファー、デフォルメ、アナライズがつくれない。
さて、長年の悩みとして「企画立案できない」と捉えており、視点を養うインプットや内省が足りないことを原因にしていた。ただトライしてみるも変わらず、スキルが上がらない。。
そんな時、「抽象化」というワードに触れる機会があり。ちょっと問題の背景を置き直して、「具体と抽象の行き来ができない」としたところ、悩み克服の糸口が見えた気がした。
「具体と抽象(細谷功著)」がそのきっかけ。ほかには、メタ認知、アナライズ思考の本など、ヒントがたくさん。
人は知性的な生き物で、「具体」と「抽象」の対立構造を行き来できる唯一の生き物らしい。抽象的な世界が見える人と見えない人がいて、具体と抽象を操れる人にしか見えない世界があるとのだという。
今のところ、その世界は見えてはいないけど、その世界への行き方は示されている気がする。
おまけ)具体と抽象とは。
抽象
目に見えない。
実体と結びつかない。
まとめて対応。
応用がきく。
学者の世界。
解釈の幅がある。
具体
目に見える。
実体と直結。
ひとつずつ個別対応。
応用がきかない。
実務家の世界。
解釈の幅がない。
疲れの共通点。価値観と行動の乖離。
「今日は、どっと疲れた。」
「もうマネージャーやりたくない。」
そんな時は肉体的な疲労もあるけど、
自分の価値観に合わない行動をしていることが多いように思う。
広告の生産管理の部署にいて、メンバーは約10人。
新入社員、転職者など、入社1年目未満のメンバーがほとんど。
スキル不足で達すべき基準に満たないことも多く、
どうしても均一な指標で人を見ざるを得ないときがある。
例えば、うっかりミスをよくする人。
逆にいえば、リスクを感じないからこそ、早く走れることもある。
強さも欠点も表裏一体のはずなのに。。欠点で人を判断している。
大切にしたいことは、
人はみんな違って、みんないい。
その人の強みが発揮されることで、
強みの相乗効果で個人が生き生きと過ごせること。
そんな組織を目指したいのに。
その、きっかけは5年前、
異動仕立ての部署で会ったのは、
型破りの先輩で私のマネージャーであった。
今も一番尊敬している。
1人の人として、
何が強みか?、将来何を実現したいか?
とことん聞き出し、壁打ちしてくれた。
「そのままでいいよ」とありのままの自分を、価値ある人間と認められた気がした。
それをきっかけに、自分を許し自信が持てた。
だから、私も、そうやって、他の人を許して行きたい。
それ以来、ずっと大事にしてきた。
個性を愛するということ。
あらためて、マネージャーになり、
「大切にしたいこと」は何か。
「大切にしたいこと」のために何の行動をしたか。
それを毎日書き留めていきたい。
少なくとも、個性を愛したい。
それは、今も、変わらない。